尾瀬とは?/ セントラルファイナンス
[ 21] 尾瀬 - Wikipedia
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尾瀬(おぜ)は、福島県・新潟県・群馬県の3県にまたがる地域である。中心となる尾瀬ヶ原は約 1万年前に形成されたと考えられる、日本を代表する高標高地の湿原であり、その大部分は高層湿原であるため、日本最大の高層湿原でもある。尾瀬ヶ原のほか、尾瀬沼や至仏山、燧ヶ岳等が含まれる国立公園特別保護地域が「尾瀬」地域であると考えられるが、広義では登山口の大清水や御池あたりまで尾瀬とされることもある。歩道以外への立ち入りが厳しく制限され、ごみ持ち帰り運動の発祥地であるなど、日本の自然・環境保護運動の象徴でもある。 自然の宝庫である尾瀬は活火山である燧ケ岳の噴火活動によってできた湿原であり、ミズバショウやミズゴケなど湿原特有の貴重な植物群落が見られる。ほぼ全域が国立公園特別保護地域および特別天然記念物に指定されており、既にある道以外の場所への立ち入りが禁止されている。 このような湿原としての重要性から、日本国政府は「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」(ラムサール条約)が指定する湿地の候補として選定した。2005年10月21日には国内での登録を終え、2005年11月8日第9回会議で正式に決定された。 尾瀬ヶ原の湿原は「拠水林」によっていくつかに分割されている。拠水林とは、湿原の外部から湿原を貫通して流れる川の両側に成立している林のことである。湿原の外部から流れてくる川は多くの土砂を運び、川の両側に自然堤防を形づくり、そこだけは樹木の成長が可能となる。ただし、全ての川に拠水林が成立するわけではない。小規模な川は湿原に流入直後の短い距離にしか拠水林を作れない川が多い。また、湿原内に湧き出た泉を水源とする川にも拠水林は成立しない。 拠水林によって尾瀬ヶ原の湿原は、いくつかに分割されており、それぞれに独自の名称がついている。川上川と上ノ大堀川に囲まれた「上田代」。上ノ大堀川とヨッピ川、沼尻川に囲まれた「中田代」。沼尻川と只見川に囲まれた「下田代」が主な湿原であるが、周囲にも「背中アブリ田代」や「ヨシッ堀田代」、「赤田代」などの湿原があり、至仏山や燧ヶ岳の山頂から尾瀬ヶ原を展望するとモザイク状に拠水林によって分割されている様子がわかる。 尾瀬では自然保護運動がさかんであり、これらの運動の一部は尾瀬の後に他地域で実践されるようになったものも多い。このため、これらの活動について列挙する。なお、自然保護を目的として1972年には群馬県尾瀬憲章が制定。1996年には尾瀬保護財団が設立されている。 最初期の自然保護運動は、尾瀬原ダム計画の反対運動であった。尾瀬沼のほとりに住んでいた平野長蔵は、一人でこれに反対。発電所の建設に反対するために、尾瀬への定住を始めたという。実際には、発電用施設は尾瀬沼南岸に取水口が1つ建設されたのみで、それ以外は建設されなかった。1956年に尾瀬地域が天然記念物に、1960年には特別天然記念物に指定された時点で事実上発電所計画は不可能になっていたものの東京電力は1966年まではこの地に発電所建設計画を持っていた。また、それ以降も太平洋側への分水路建設計画は残されていた。東京電力が発電所建設や分水路建設計画を正式に断念するのは1996年になってのことである。ただし現在でも尾瀬地域の群馬県側は全てが東京電力の所有地である。現在の東京電力や子会社の尾瀬林業は木道の建設や浄化槽式トイレの建設、湿原の復元など、環境省や各自治体と並び尾瀬を守る活動の主体のひとつとなっており、尾瀬林業は尾瀬地域の5つの山小屋の経営母体でもある。 その後尾瀬が有名な観光地になると、自動車で乗り入れができる、より簡便な観光ルートの建設が開始された。1960年代当時、自動車で入山できる場所は富士見峠しかなかったが、この後、鳩待峠、沼山峠が整備され、峠の頂上付近まで自動車で乗り入れることができるようになった。この後、三平峠と沼山峠を結ぶ自動車道の建設が始まるが、建設開始直後の1971年7月25日、平野長蔵の子孫の平野長靖が当時の環境庁長官大石武一に建設中止を直訴。5日後、大石が平野とともに現地を視察すると、直後に建設は中止された。竣工した道路の一部は1998年までに廃道になった。 ごみ持ち帰り運動も、尾瀬が元祖であるとされる。それまで尾瀬には多くのゴミ箱が設置されていたが、ごみの処理に苦労していたうえ、ごみ箱はすぐにあふれたため、入りきらなかったごみはごみ箱周辺に散乱し、風などで周囲に飛散していた。ごみ持ち帰り運動は「逆転の発想」として1972年に開始され、翌年までにはすべてのごみ箱が撤去された。この運動はその後他の地域にも広まっていった。また、それまでは不燃ごみは穴を掘って埋めることが多かったが、それらの「過去のごみ」も順次発掘の上尾瀬の外に搬出する作業が、ボランティアも交えて行われている。 ごみ以外の廃棄物も原則として尾瀬には廃棄しないのも特徴である。公衆トイレの排泄物などは、合併浄化槽で液体部分は排水しても問題ないレベルまで処理して放流し、固体部分は脱水・乾燥処理しヘリコプターで回収している。排水をパイプラインを通して尾瀬外の河川に流すトイレもある。ただ、合併浄化槽を運転するために、24時間自家発電の運転が必要となり、維持コストがかさむために、1回使用あたり100円から200円のチップ制になっている。尾瀬はほとんどの山小屋に風呂が設置されているが、現在は汗を流すだけで石鹸・シャンプーは使用できない。食器洗いの際も汚れは極力ふき取り処理が行われており、洗剤の使用は最低限に抑えられている。これは、これらの生活廃水などが自然環境に影響を与えると考えられているためである。 1999年には自然保護を理由に、乗り合い自動車以外の自動車の乗り入れが一部禁止された。規制は数年かけて徐々に強化されており、2008年現在、群馬県側の鳩待峠口では5月中旬から7月末および10月初めから中旬の全日と8・9月の週末は自家用車の乗り入れができなくなっている。また、福島県の沼山峠口では通年自家用車の乗り入れができなくなっている。その他、かつて唯一峠まで自動車で登ることができ、1960年代は最も多くの登山者が利用した富士見峠は、後述するアヤメ平の保護のために、富士見下から富士見峠間について通年許可車以外の通行はできなくなっている。 ほぼ全域にわたって木道が整備され、木道以外の場所を歩けないようにしてあるのも、尾瀬の特徴である。尾瀬に最初の木道が設置されたのは1950年代と言われている。当初、木道の目的は登山者を湿原のぬかるみから守るためのものであった。しかし1960年代、当時尾瀬で唯一すぐ近くの富士見峠まで自動車で行くことができた、尾瀬地域で最も標高の高い湿原のひとつであるアヤメ平が、単線の木道しか設置されていなかったために、行き違いが出来ずに湿原に降りた多くの登山者により踏み荒らされたことを契機に、1966年から尾瀬のほぼ全領域で計画的に複線の木道が整備されるようになり、木道以外の場所は歩けないようになった(一部登山道を除く)。現在では木道の目的は湿原を登山者の踏みつけから守るものへと変化している。なお、複線部分の木道は右側通行となっている。 かつての木道は尾瀬周辺の林で伐採した木材が利用されていた。しかし、尾瀬地域が特別天然記念物に指定されるなどして、この方法は使えなくなり、その後は地域外の木材をヘリコプターなどで搬入して利用している。最近の木道はカラマツ材が使われることが多い。カラマツは樹脂が多く湿原の水分に浸された状態でも比較的長持ちするからであるが、それでも10年前後で更新が必要であるため、計画的に更新工事が尾瀬の各所で行われている。木道の廃材の一部は、中心部の朽ちていない部分が各種木材製品に転用されている。 木道の設置・更新工事は、現在は福島県域では福島県によって、群馬県域では群馬県と東京電力によって、新潟県域では東京電力によって行われている。木道の表面には設置年を示す焼印が木道一本ずつに押されている。この焼印はたとえば2007年(平成19年)設置のものなら群馬県設置のものは「群H19」、福島県設置のものは「福H19」、東京電力設置のものは「(東京電力のマーク)H19」と記されており、設置者と設置年が明らかになっており、更新の参考になっている。 木道はかつては湿原に横板を介して直接置かれたものがほとんどであった。しかし低層湿原部分などで、大雨のあとの増水時などに冠水しやすい部分や、融雪期に雪解け水で冠水しやすい部分は、橋梁状の地面からの高さが高いものに作り直されている。 木道の単線あたりの幅は、ほとんどの場所で約50cmで、幅広の木材を2枚使ったものから、幅の狭い木材4枚を使ったもの、その中間の3枚の木材を使ったものまである。群馬県側の登山口のひとつ大清水の湿原には車椅子対応の幅150cmのものが設置されている。段差をなくし、車いすが落ちないように両端に車止めを付けるなどの配慮がなされている。2008年までには同様のものが福島県側の御池登山口の湿原にも設置される予定となっている。歩行者の少ない地域では単線の木道だけの場所や、幅30cm程度の狭い木道が設置されている場所もある。 なお、複線木道整備のきっかけになったアヤメ平は1969年から復元事業が開始されている。採取した種子をまき、高山植物を現地で栽培するという方式がとられているが、2007年現在、復元は完全には完了していない。 山の鼻と尾瀬沼畔にはビジターセンターが設置され、尾瀬の自然の紹介と、自然保護活動の啓蒙を行っている。スライドショーや観察会等も行われる。なお、山の鼻ビジターセンターは群馬県が、尾瀬沼ビジターセンターは環境省が設置しているが、両センターの運営管理とも現在は尾瀬関係3県によって設立された財団法人尾瀬保護財団が運営管理を行っている。 近年、ニホンジカが増加し、ニッコウキスゲなどの花芽が食べ尽くされ、極端に開花が少なくなる場所が増えるなどの影響が起こり始めている。 現地には自動車道は通っていないため、登山口からは徒歩で行くことになる。入山口は群馬県側が鳩待峠・富士見峠・大清水(三平峠)の3ヶ所で、福島県側が御池・沼山峠の2ヶ所。このほか新潟県側からの入山口(越後口)がある。バス停から尾瀬までの行程が短い鳩待峠と沼山峠の2つの入山口からの入山者が多く、これら2箇所では前記のように自家用車乗り入れ規制がある。特に東京方面からの便が良い鳩待峠からの入山が半数以上を占めている。 自家用車の場合、群馬県側は、片品村戸倉の尾瀬第一駐車場(有料)、尾瀬第二駐車場(並木駐車場)(有料)に止め、そこから路線バスまたは乗合タクシーで登山口である鳩待峠に向かう。乗車券はバスと乗り合いタクシーは共通であり、頻発運転により利便性を確保している。福島県側からは、御池駐車場(有料、規制期間によっては使用不可のことあり)、七入駐車場(無料)に止め、同様に路線バスなどを利用する。これらの駐車場のほか、大清水駐車場(有料)、鳩待峠駐車場(規制時は使用不可)、富士見下駐車場(無料)がある。このうち、鳩待峠駐車場は駐車所が狭いため、規制期間中は使用できず、また規制期間外でも満車の時が多い。しかも自然保護を理由として周辺よりも高い駐車料金となっている。 電車・バスを利用する場合、群馬県側は上越新幹線上毛高原駅または上越線沼田駅から戸倉行きまたは大清水行きのバスを利用。福島県側からは、野岩鉄道会津高原尾瀬口駅から沼山峠行きバスを利用する。なお、東武鉄道がシーズン中の週末を中心に浅草駅から会津高原尾瀬口駅まで夜行列車(尾瀬夜行)を走らせている(沼山峠行きの連絡バスに接続する)ほか、関越交通も新宿駅および東京駅から大清水行き夜行バスを走らせている。(戸倉で鳩待峠行きの始発のバスに乗り換えられる) このほかに、上越線浦佐駅から奥只見行きのバスに乗り、そこから定期船で尾瀬口、尾瀬口から定期バス(予約制)で小沢平・御池・沼山峠まで行く方法があるが、バスの本数が非常に少ない(1日2本(繁忙期のみ3本))こと、積雪のために開通が6月上旬になることから、このルートを利用する場合は、関係各機関に問い合わせるなど、事前の準備を十分に行う必要がある。 最も利便性の高い鳩待峠や沼山峠からでも、バスの終点から尾瀬の湿原までは、徒歩で1時間ほどかかる。なお、冬季は降雪により、冬山経験者以外の訪問は困難である。 尾瀬は広大なため、日帰りで一周することはほぼ不可能である。このため、湿原内に多くの山小屋が存在する。ただし、他地域の山小屋と異なり、すべての山小屋が事前予約制をとっている。これは、予約制でない時代に多くの登山者が詰めかけ、収容人員をはるかに上回る事態となったためである。このこと自体は他の山域の山小屋にもあることであるが、尾瀬の場合山小屋のオーバーユースが自然環境に与える悪影響を考慮して事前予約制に移行している。風呂がある小屋や、空いている時は詰め込みを行わない小屋が大多数であることも、他の山域の山小屋との違いである。 多くの山小屋は、昼間もカレーや麺類など軽食を出す休憩所や記念品、飲料などを販売する売店としても営業している。山小屋以外にも管理人が常駐し、軽食の提供や売店を営業する有人の休憩所が各所にある。 山小屋の物資はヘリコプター輸送のほか、尾瀬ヶ原地区では生鮮食料品などはボッカにより輸送されている。夏山期間中毎日ボッカを職業とする人の姿を見ることができるのは、今や尾瀬ヶ原地区と白馬岳くらいになっている。 尾瀬はほとんどの場所に木道が整備されており、湿原だけを回るなら、標高差は最大でも260m程度であり、歩行はそれほど困難ではないが、修理中の場所も多い。登山道からずっと木道があることから、軽装の日帰り観光客も多いが、現地は山岳地帯であり、同じ群馬県内の高崎などの平野部と比べて気温も10℃以上差がある。多くの人が訪れる初夏のミズバショウの季節は残雪も多く、気象の変化により急激に気温が低下することもある。また、中央分水嶺付近に位置することなどから夏の山の天気は崩れやすく、雨天時や雨天後は木道が水没していることもある。また、降雨時も1時間以上は歩かないと、バス停まで到着しないことに注意する必要がある。小屋泊まりの行程の場合はもちろん日帰り訪問の場合も雨具や水筒・防寒具など、最低限の装備は必要である。また、木道区間がほとんどであるため、タウン用のスニーカーなどで訪れる人も多いが、雨や残雪などで濡れた木道は特に滑りやすく、スニーカーの中には山道に不向きなものも多い。また、雨天後の雨水や融雪により木道が冠水していることもある。防水性のあるウォーキングシューズや軽登山靴などで訪問するのが良いだろう。 ツキノワグマが生息しており、過去に観光客が襲われた事例もあるため、特に早朝、夕刻には音の出る物の携帯も必要である。また、鐘を打ち鳴らす道具が設置されている場所もある。ただ、基本的にツキノワグマは人間を恐れている動物であり、正しい知識を持ち合わせていればある程度危険は回避できる。 数十万年前から1万年前までの間に周辺の火山活動により川がせき止められ、盆地が形成されたと考えられている。最初期に成立したのは尾瀬ヶ原で、かつてはここは湖で、後の堆積により湿地になったと考えられていた。しかし、1972年にボーリング調査が行われた結果、地下81mまでの場所では、ここに湖があったという証拠が得られなかった。このため、尾瀬ヶ原の成立については不明であるが、現在は盆地に堆積した土砂によって平坦な湿原が形づくられたとする説が有力になりつつある。 約1万年前に、火山の燧ケ岳が誕生した。火山活動による溶岩などによって、盆地の東半分がせき止められ、これにより尾瀬沼が成立したと考えられている。 このようにして尾瀬ヶ原と尾瀬沼が成立した頃は、氷河期時代であり、周辺では寒冷地の植物が自生していた。その後、氷河期が終了し、温暖な時代になると、南方から温暖地に住む植物が勢力を伸ばしてきたため、それまでこの地にいた植物たちは、しだいに北へ後退していった。しかし、尾瀬は、高原の盆地という特殊な地理条件のため、他地域の植物があまり入り込まず、氷河期時代に生育していた植物がそのまま現在も自生している。尾瀬の植物には、尾瀬以外ではロシアが南限というものが多く存在する。ただし、気候的には他の南方系植物も十分に生育可能なため、尾瀬へは他地域の植物の種子が入り込まないよう、特に監視がされている。 同年、平野長蔵らが当時処女峰の燧ケ岳の登頂に成功したというのが、比較的古い記録である。渡邉千吉郎が1894年に残した記録によれば、尾瀬の南にある戸倉村(現在の片品村戸倉)と、北にある檜枝岐村は、江戸時代から尾瀬沼の東岸で交易を行っていた。小さな小屋を立て、そこに村の特産物を置き、かわりに向かいの村の産物をもって帰ったという。 1949年 NHKが、江間章子作詞・中田喜直作曲の尾瀬を扱った曲『夏の思い出』を放送。この曲により尾瀬は一躍有名になり、多くの観光客が訪れるようになる。 1970年 尾瀬沼東岸を通り、片品村から桧枝岐村を結ぶ道路(国道401号及び群馬県道・福島県道1号沼田桧枝岐線)の建設が開始されるが、自然保護運動により翌年、計画は中断される。 1971年 尾瀬周辺を通過する奥鬼怒スーパー林道が着工される。なおこの林道は、のちに尾瀬周辺を通らないよう設計変更されて竣工した。 1972年 ゴミ持ち帰り運動開始。翌年までに尾瀬のゴミ箱がすべて撤去される。撤去されたゴミ箱の数は、東京電力関連会社の尾瀬林業が管理していたものだけで1400個。 1999年 福島県側の沼山峠側で乗り合い自動車以外の自動車の乗り入れが禁止され、翌年には群馬県側の鳩待峠でも規制が開始された。 |
[ 22] 尾瀬|尾瀬・ハイキング|尾瀬・花・写真|尾瀬・山小屋|尾瀬・花・群落について
[引用サイト] http://www.geocities.jp/mhnskow/
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尾瀬は自然の宝庫。尾瀬の水芭蕉(ミズバショウ)の時期、湿原や山々の木々が芽生えて新緑に覆われる初夏、湿原の花が咲き乱れる夏、草紅葉と紅葉に覆われる秋と、尾瀬はいつ行っても美しい自然がある。 花の名山で名高い至仏山。湿原の花の群落、水芭蕉(ミズバショウ)、リュウキンカ、ミツガシワ、ワタスゲ、ニッコウキスゲ、キンコウカなどは日本有数であり、その美しさは新聞や雑誌、写真集はもちろんテレビなどで紹介されるほど。 と紫や紅に咲き競う尾瀬の花々。小鳥のさえずり、遥かかなたへ続く木道と緑で覆われた広大な尾瀬の湿原地帯。 尾瀬は、学術的価値が高く、ほぼ全域が国立公園特別保護地域および特別天然記念物に指定されている。その為、保存が厳しく義務づけられている。わずかな変化でもその影響は尾瀬全体に及んでしまう。尾瀬の環境そのものを保全するため、現状を変更してはいけないことになっている。 将来にわたって尾瀬の自然を楽しむことができるよう、尾瀬は国立公園特別保護地域および特別天然記念物に指定されていて、生態系と景観が厳重に保護されている。 尾瀬では自然保護のため、木道が設置されていて、総延長は57kmにもおよぶ。木道を外れて湿原などに入ることは厳禁。また、草や木、枯葉一枚とて尾瀬エリヤ外へ持ち出すことも厳禁。尾瀬の山小屋、休憩所、トイレなどは衛生的でとても利用しやすい。 尾瀬では、高度な汚水処理が行われている。山小屋や公衆トイレには、合併処理浄化槽が設置され、汚水処理が行われたあと、その水はパイプラインで湿原への影響が少ないところに放流されている。 尾瀬では湿原保護のために山小屋や公衆トイレの汚水は何度も浄化され、清水並みにして流される。浄化の過程で出たヘドロは、人力やヘリコプターなどで、尾瀬の外へ運び出されている。 尾瀬には、珍しい植物が多く成育している。オゼソウ、オゼヌマアザミは、尾瀬とその周辺にしか見られないし、尾瀬ヶ原一帯に生えているオゼヌマタイゲキは尾瀬の固有種である。また、ナガバノモウセンゴケも北海道と尾瀬だけに見られる珍しい植物だ。 深呼吸をすると鼻にツーンと独特なさわやかな香りがする。これはオオシラビソ、トウヒ、コメツガなどの亜高山帯針葉樹林の樹脂の香りである。また林内には、亜高山帯で多く見られる広葉樹のダケカンバがあり、秋には美しい色相が見られる。 標高2,228mと、それほど高くない至仏山に多くの高山植物が咲く理由は、この山が植物の成育しにくい蛇紋岩(ジャモンガン)でできているから。普通、樹木が成育できる上限、いわゆる森林限界は2,400m〜2,600mだが、至仏山では、1,700m付近で森林限界となる。それより高所は、高山植物の適地となる。さらに、数億年前にできた古い山であることから、氷河時代に成育していた高山植物にとって、適した種々の環境を備えている。蛇紋岩の山は高山植物の宝庫としてよく知られている。北海道の夕張岳、アポイ岳、戸蔦別岳、岩手県の早池峰山、群馬県の谷川岳、長野県の白馬岳などには珍しい植物が多い。 至仏山の山裾、猫又川の南に広がる湿原に、尾瀬に咲く湿原植物を移植して作られた尾瀬研究見本園がある。約1kmの木道がはりめぐらされたハイキングコース。尾瀬研究見本園では、5月下旬、水芭蕉がまず姿を現わしリュウキンカ、 尾瀬には主要な入山口だけでなく、その先に派生する様々なハイキングコースがある。ルートや季節などを変えて訪れる事で、尾瀬の豊かな自然の移り変わりを感じることが出来る。 尾瀬を理解するには時間が必要。できる限り尾瀬で過ごす時間が長くなるようなスケジュールを組むこと。尾瀬研究見本園のハイキングコースは、水芭蕉(ミズバショウ)の時期の土・日でも、ゆっくりと水芭蕉(ミズバショウ)群生地を歩くことができる場所。また、アヤメ平や燧裏林道などのハイキングコースは、多くの人が利用しないため、シーズンを通じて静かな山旅を約束してくれる。 |
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